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UrDocのお医者さん【1】スフィ・ノルハニ先生「日本語が話せても、ネットで病院を調べるのは簡単ではない」

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UrDocに参加してくださるドクターをお一人ずつ紹介するシリーズ、題して「UrDocのお医者さん」。第1回は、マレーシア出身のスフィ・ノルハニ先生(Sufi Norhany, M.D.)にご登場いただきました! 現在JCHO札幌北辰病院の総合診療科で活躍されるスフィ先生。日本で医師になった経緯、母国マレーシアの医療事情、独自に行っていた医療相談のお話など、UrDoc代表の唐橋が札幌に飛んでうかがいました。

 

マレーシアは多様性の国

 
スフィ先生、今日はインタビュー形式でいろいろとおうかがいします。

はい、よろしくお願いしますね。

先生のように日本で活躍する外国籍の医師はめずらしいと思って調べたら、2,400人くらいいらっしゃる。

あ〜(当然のことのような感じで)全然いますよ。でも日本のあちこちに散らばっている。

スフィ先生はマレーシアのご出身ですね。

マレーシアのプタリン・ジャヤ。クアラルンプールから車で10分くらいのところです。

最近は日本人の移住者も多くてダイソーとかすしざんまいとかあります。「Pasta Zanmai」もある(笑)。和風パスタもあって、私はたらこパスタとか食べますね。日本に関するものが多くて、手に入りやすい。

マレーシアの人種構成としては、マレー族がいちばん多い。2番目は中国、その次はインド。マレーシアはインドネシア、フィリピン、バングラデシュなどの諸国からの移民(移住労働者)が年々増えています。

マレーシアの人は外国の人に対して寛容で、まさに多様性の国です。

おもに使われているのはマレーシア語?

都会ではみんなだいたい英語を使っていますね。第一言語はマレー語で、英語は第二言語。同じマレーシア人同士でも英語で話します。

といっても、マレー語が混じった英語。シンガポールの英語をシングリッシュと呼ぶように、マレーシアの英語はマングリッシュと言われます。

高齢の方も英語ですか?

もともとマレーシアは英国の植民地だった。母方のおじいちゃんはもう20年ほど前に亡くなったんですが、ほとんど英語でした。おじいちゃんは娘、つまり私の母をイギリス系の学校に行かせたので、母も英語がペラペラ。おばあちゃんはそんなに英語を話さなかった。

どういうバックグラウンドかということよりも、どういう教育を受けたかで、話せる言語は大きく変わりますね。中国系の学校に行けば中国語を話せるようになる。私の夫はイスラム教の全寮制の学校に行ったので、アラビア語を話せる。私は公立学校に行ったので、中国語やアラビア語は話せない。

本当に多様性に富んだ国で、ある意味ぐちゃぐちゃですよ。結婚式のスタイルもいろいろあるし、ニュースも、この時間はマレー語、この時間はタミル語、マンダリン、広東語、という具合です。

 

日本の医学部に、行きたくなくて泣いていた

 
現在、JCHO札幌北辰病院の総合診療科で活躍されています。どうして日本で医師免許を?

ひと言では答えにくい(笑)。本当は医師になろうとは思わなかったです。

日本に行こうと思ったのは16歳の時。獣医学か生命科学を学びたかった。それで日本に留学することにしました。

政府の日本留学特別プログラムというのがあるんですよ。毎年100人ぐらい、国が奨学金などサポートしてくれるもので、私は高校を18歳で卒業してそこに参加しました。日本で2年間のプログラムを終えてから大学に派遣されます。

その2年目に学びたい分野を選ぶんです。母は私に、医者になってほしかったみたいで、日本人の担任の先生と相談した時に医学への進学を第1希望にしてみようと。

第2希望と第3希望は自分のやりたいものにしたんですけど、第1希望に受かってしまったんです。

医者の道は、自分の希望ではなかったんですね。

医学部に進みたいとは思っていなかった。私としては受からないだろうと思っていたけど、面接で印象が良かったみたいで受かってしまった。

それが19歳の時で、合格を知った時、親はすごく喜んでいた。私は行きたくなくて泣いていた。でも受かったし、やろうと思った。

派遣される大学は自分では決められなくて、日本の文科省が決めるシステムでした。私を含めて4名がそのプログラムで日本の医学部への進学が決まっていて、私は千葉大でした。

4名のうち3名は医師免許を日本でとって、1名は卒業後そのまま帰国した(注:医学系のプログラムは2003年で終了)。

医師免許をとったのは何年ですか?

2009年に取得しました。初期研修は、1年目は千葉大で、2年目はたすき掛けで千葉医療センターでした。

日本の医師国家試験はどうでしたか?

もともと日本で医師になるつもりはなくて、卒業後はマレーシアに帰るつもりでした。でもいろいろ考えて、日本の国家試験を受けることにした。

だから実際に勉強を開始したのは2、3ヵ月前から。受かった時はびっくりしたけど嬉しかった。

すごいですね! 試験はすべて日本語で、日本人受験者と同じ問題ですよね。

はい。運がよかっただけですよ。私はもともと運がいいかもしれないんですね。

マレーシアでも医師国家試験がある?

日本は国家試験を受けないと免許がもらえないけど、マレーシアは国家試験がなくて、登録すれば免許が付与される。ただ、そうすると大学によって教育方針が異なるから能力もバラバラになってしまう。なので、マレーシアでは医療協会が認めた医学部でないと医師登録ができない制度になっている。

日本の医学部も一部認めているけど、私たちが派遣された医学部はどこも入っていなかった。入っているのは北大、徳島大、東北大、阪大、広島大、琉球大、九大、長崎大、東京医科歯科大、旭川医科大の10医学部のみ。

だから派遣される前に抗議したんですけど、結局何も変わらなかったんですよね。何考えているのかわからないけど、まあ仕方ないよね(笑)。

ていうことで、ちょっと説明が長くてすみません。

 

病理医から臨床医へ

 

実際に医者の道に進んでみて、いかがですか。

正直、最初のころは辛かったです。でも医学部5年生のBSL(bed side learning)で産婦人科をローテションした時に初めて出産を見て、やっぱり医者になりたいと思って大きく変わった。

医師免許をとった後、2年ほどはマレーシアに帰国していましたが、発達障害と診断されている子どもが日本語の方が得意だったので、日本へ戻って医師として働き始めました。

子どももいたし、最初は当直がないという理由で病理をしていました。締め切りもあって、予想以上に大変でした。病理で強く感じたのは、実際にどういう病態なのかを知りたいと思うようになったこと。個人的に子どもの医療相談など受けていたのもあって、臨床に戻りたいと感じました。

希望の道ではなかったけれど、巡り合わせみたいなものがあったのでしょうか。

不思議だけどなんかあるかもしれない。ずっといろいろな課題を感じていて、今は総合内科を通して課題の解決に貢献していきたいですね。

  

スフィ先生_患者さんが撮ってくれた写真

患者さんがお礼として撮ってくれた写真。退院の数ヵ月後、病棟まで足を運んで届けてくれた大事な1枚。

 

 外国人医師から見える日本の医療

 
日本に住む外国籍の方として日本の医療の課題は感じますか。

日本語に不自由な方で、子どもの医療費助成があることを知らなくて、ずっと実費で払っているということがありました。言葉の問題があって案内してもらえなかったんだと思います。不思議なことに、必要な情報が与えられていないことがあるんですよね。

私は日本語ができるから特に困らない。でも日本語がわかっていても、時間外の受診についてはわかりにくいです。

数年前に室蘭に行った時に、喘息発作を起こしてしまって、室蘭市の当番病院に行ったことがありました。最初はネットで調べて、その日の当番病院の1つに連絡したら、室蘭に住んでいないのでと断られてしまったんですよね。2つめで受診できて、ネブライザー(注:喘息用吸入器)でことなきを得ました。

日本語がある程度できても、ネットで調べるのは簡単ではないです。

マレーシアと日本の医療を比べて感じることは?

マレーシアは私立と公立の医療機関の差が大きいです。

私立も公立も24時間開いているところが多い。だから困ってもすぐ受診できるという安心がある一方で、私立はすごく高い。喘息のネブライザーだと、公立病院では大体5リンギ(注:2018年7月30日現在、1リンギ=27.32円)だとして、私立病院では10倍ということもざらにあります。私立病院に行く方はクレジットカードや民間の保険に加入している富裕層の人が多いです。

公立病院は貧困層の方が多くて、ものすごく待ち時間が長いですね。

その点、日本の医療機関はいつでも受診できそうですが、ある意味アクセスしにくいですね。その理由は、言語や医療情報の不足だと感じている。

マレーシア人の医療相談を、ボランティアでされていたと聞きました。

小さい頃から人を助けるのが好きだったから。困っている同胞を助けたいという思いからです。

最初に始めたのが医学部3年生の時でした。友達のお父さんが日本に遊びに来た時においしい海鮮料理をいっぱい食べたら、持病の痛風の発作を起こしてしまって。しかも痛み止めも持ってきていなかったんですよ。日本はマレーシアと同じく、ドラッグストアで簡単に手に入ると思っていたからって。

その時初めてわかったのが、日本の病院ってアクセスしにくいということでした。探してみたら、外国人を受け入れてくれる医療機関が本当に少なかった。しかも旅行保険に入っていなくて、支払いも高くなってしまった。

当時はマレーシアから日本へ旅行する際にビザが必要でした。2011年の東日本大震災のあとからビザが不要になったので、マレーシア人旅行者がすごく増えた。だからマレーシア人向けのブログを書いて医療情報を提供するようにしました。今は特に在日のマレーシア人の方からの相談が多いです。

そんな中でUrDocを見つけてくださったんですね。2017年にUrDocのサイトを立ち上げた時、真っ先に連絡をくださったのがスフィ先生でした。

見つけた時はものすごく嬉しかった! 当時自分のブログにも、医療相談を自分一人でやるのは大変だと書き込んでいたくらいです。ですからすぐに唐橋さんにメールしました。

実際にサービスが始まったら使ってみて、いろいろ感じたことを伝えたいと思います。

最後にメッセージがあればお願いします。

医療相談で私が気をつけているのは、日本以外で起きたことをもとに相談してくる人がいること。その場合、こちらは現地の医療事情がわからないこともあるから、あくまで一般的なことしか言わないようにしています。そういう事情があると、本人にしっかりと伝えることが大事だと感じています。

医療相談の経験と知見を、ぜひUrDocにもお貸しください。今日はどうもありがとうございました。

ありがとうございました! (了)

 

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